外面如菩薩内心如夜叉


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2005/12/03(土)

携帯変えました! 京ぽん2です。オレンジー。昼頃ヨドバシ行ったのだけど余裕でした。しかしすっげーいっぱいバグがあるよ(笑)。ファームアップ待ちだなあ。入力は快適になった。いろいろしやすい。料金プランも変えてみた。安くはなくなったんだけど、速くはなったようだ。しばらく使って考えよう。

「ヴェニスの商人」を観た。題材としてはとても有名だ。スリリングな法廷劇って紹介されてたって、皆結末を知ってる。なのにスリリングだった。実はmtera読んだことがないのだが、以下の台詞は原作にもあるのでしょうか。意訳:「借金で首が回らない。精算する方法を思いついた。金持ちで美女で性格のいい女性がいるのでプロポーズしたいと思うんだ。だから金を貸してくれ」どんな論理だこいつ! これでプロポーズに行って、本気で恋にひたれるのがバッサーニオのいいところだと思う(え?)。そんないかにも甘えタレな奴にアントーニオめろめろ。何の予備知識もなしに見に行ってホモくさいってどうなの……世界はデフォルトがそう変わっているの? パンフに書いてあるからフィルターのせいではないと思う。
さてそんな虚飾に満ちた世界とは裏腹にブルーグレイが基調になっているシャイロック視点。はっきりいって、シャイロックが可哀想と思わせるための映画です。だって貴族の1年の収入にも匹敵する額を無利子で貸してよ、お行儀悪いどんちゃん騒ぎをするさまを見せられる。娘はそんな奴の同類と駆け落ちする上、愛さえあれば……というのとは無縁な量の金品を持ち出している。傲慢で、都合のいいキリスト教徒たちに蔑まれ、罵られ、それで寛大になれるわけがない。復讐の裁判では逆に財産を没収され、改宗まで要求される。しかもその場ではシャイロックはヴェネチアに住んでいながらよそ者と言われている。まさにシャイロックの長台詞そのまま。圧倒的にシャイロックが気の毒なんです。でも、アントーニオは負けていない。傲慢なほど高潔という人柄、日常では滅多にお目にかかりませんが、まさに彼がそうです。他人への高潔は残酷です。彼は高潔故に、自分の残酷さに気付いているかもしれないが、それを正だと信じている。アントーニオ以外のキリスト教側の人物は高潔には見えないが。ポーシャは非常に現代的ですね。描かれ方もだけど、あの裁判の場面ではシャイロックに妥協を促していた。宗教が絡む話で妥協は現代的だ。
映像が期待通りに素敵。コスチューム物(舞台が昔の物を指しますよ! 戦隊物とかじゃないですよ!)が好きな人間はうっとりする画面映えする世界です。あの時代、富裕層の館だってもっともっと汚いような気もするけど、ゴミゴミはしていて、小道具好きにはたまりません。歌がまた雰囲気たっぷりで。パンフによると、台詞回しはシェイクスピアほどくどくしていないらしいんだけど、言葉がベタベタしてるなあと感じました。所有格と修飾系の単語がやたら入っているのがベタベタと感じる部分ではなかろうか。シャイロックは裁判でも「Jews」とばかり呼ばれていたのが気になりました。

11月上旬読了:『ヒューマンー人類ー』ロバート・J・ソウヤー/内田昌之訳 ハヤカワSF文庫 920円

ネアンデルタールシリーズ2弾。平行宇宙という大変ファンタジックな世界を扱っていながら、全然ファンタジックに処理しないのがソウヤーのいいところです。中年の愛情とか、妙な三角関係とか、相手がネアンデルタールでなくてもありそうな話を楽しそうに書いている。思ったのだがこれは日常SFのパターンではないだろうか。その一方で、民主的な1984的世界とか、狩猟民族の方が平和的であるという話とか、脳構造が宗教を生み出すとか、新しいパラダイムを提示するのがほどよい刺激。

11月上旬読了:『ハイブリッドー新種ー』ロバート・J・ソウヤー/内田昌之訳 ハヤカワSF文庫 920円

ネアンデルタールシリーズ3弾。メアリがカトリック教徒なのに遺伝子操作に全く躊躇いがないのが不思議だ。遺伝子数が違うなら獣姦?とまで発想したのに切替が早いな。そのくせ宗教にはとてもこだわっている。第一、権力づくのしゃべりをする輩にそんな危ない機械を渡すなんて無邪気にもほどがあるわ! SF的視点よりも、やっぱり中年世界の危機みたいな視点に重点があると思う。パラダイスに見えるネアンデルタール人世界にも問題はあったり。アメリカ的な暴力寄り思考をあれだけ否定しておきながら、最後は×××だ。批判するけど、好きなの。というアメリカに対する屈折した想いが出ている話だと思う。メアリには何となくジョディ・フォスターの外見を想像して読んでいました。

11月読了:『人にいえない仕事はなぜ儲かるのか?』門倉貴史 角川oneテーマ21 686円

明らかに『さおだけ屋〜』の便乗本だが、さおだけ屋よりも下品だ。あれは日常の疑問を通じて会計の考え方を学ぼう、というのであまりバイヤスのかかっていない書き方だったが、どうもこちらの本は金を稼ぐという一点に視点が集中している。読む方はそういう観点でも構わないが、書く方がそれだけというのは、とても下品に見えるものだ。税金についても、高額納税者の税率が高すぎて「金を稼ごうという気がなくなり経済が停滞する」ため税率は高くない方が望ましいとしているが、それは適切な報酬体系ができている社会のみで通用する理屈だ。最後に出てくる支出税という考え方は面白いが、それまでがどうもうさんくさい言質なので、素直に聞けないのが実情。

11月読了:『現代殺人論』作田明 PHP新書 720円

殺人は別に増えちゃいないし、日本は今でも世界で最も安全な国であることは間違いない、という持論の著者。大変冷静な視点です。統計の読み方は数学に寄り気味。普通の少年による犯罪が増えた、という報道に対しても、「普通の子どもの母数が増えているんだから当たり前」という大変統計的な話がまず現れます。mteraは馴染みやすいですが、たぶん広範囲からの賛同は得られないでしょうね……。しかし、それならそれで、「ある一定数の殺人は社会状態に関わらず起きる」という結論になってしまい、それは社会学ではなく生物学になりそうな展開。殺人の起源は農耕にあり、という、ソウヤーで出てきた論が紹介されていて、学説としてポピュラーなことを納得させられました。筆はダウン系なんだけど、根底に流れる精神はアッパー系のような気がする、そんな新書。

本日購入:『落下する緑』1800『金春屋ゴメス』1400『一週間のしごと』1800
2005/11/29(火)

外に猫の親子がいた。皆そっくりでかわいーv 仔猫2匹ちいちゃい〜。とモエモエしながら家に帰り着くと、「……こいつら絶対母猫の方産める!!」という大きさの我が家の猫。ひいき目ではなくかわいい方なのではないかと心の底で思っていたが、すでに大きさでかわいいとは言えなかったことを改めて実感する親ばかだった。

会社の水道水がアルカリイオン水になってしまっている。それでお湯をわかされたりしている。貼ってある効果には「紅茶コーヒーが美味しくなる」と書いてあるが、軟水が硬水になるわけもなかろうに、なぜアルカリで入れて美味しくなるのか私には理解できない。「渋みがなくなりマイルドになります」そんな紅茶うまいんかい! 午後ティーの「純水」も長らく疑問だった。純水で入れるセオリーはないだろう。どんな茶葉だ。ところで今ネットで調べたら、軟水の方が美味しいと書いてあるページが多い。なんでだろう。輸入紅茶扱っているページまでそうだ。ヨーロッパは硬水なのだから、少なくとも輸入紅茶は硬水で美味しいようにブレンドしてあると思うんだけどな。日本は軟水なので日東とかは日本のお水が美味しいと思います。なんつって、紅茶わかすのに水買ったりしませんが!

2005/11/27(日)

熱は土曜には早速下がっていたものの、体力回復が追いつかず、起きあがれなかった。このあたりがくっきりと歳なのか。

おなかのひきつれるような痛みはひいていませんね。角度によるなんて筋肉痛みたいだなあと思うが、心当たりがない。医者ではレントゲンまで撮ったけど、問題なし。もしかすると猫に思い切り踏まれたのかなあと思えなくもないところがこの家の微妙な環境だ。

本日も熟考の末、ひきこもり。外に出ると金を使う。家にいても金を使うが。なんとなし開けた六花亭が5000円で送料無料セールとは買うしかあるまい?

猫用のカートを買おうかなあと考えています(これはまだ買ってない)。予防接種にも行かなくてはいけないし、今年は3日以上休みがあるようなら年末年始に実家帰ろうかなあとも思っている。そんなとき、5.2kgと5.8kg(よちが減ってる!!)の大荷物をごろごろ引っ張っていくのはかなりの試練なのだ。買おうかな。その前に以前のケージを捨てないとなあ……今は狭くて使えないケージが2個、大きい使用中のケージが1個あります。粗大ゴミかなあ、難しいよねえ、バレないように捨てるのは。

とりあえず、ここんとこ読んだ本。

たぶん先週:『フェティッシュ』西澤保彦 集英社 1900円

ニシザワのわりには、フェチっぽくない。よっぽど普段の作品の方がフェチめいていると思うのだが、どうだろうか。広義のフェチになるのだろうけれども、仮死状態の人間に対する執着はあまりフェチとは呼ばないだろう。もっと短篇処理した方がニシザワの特色が出てよかったのではないのかなあ。

先週読了:『セリヌンティウスの舟』石持浅海 光文社カッパノベルス 762円

この人は、どうも「そんなことでそこまでやるか!」と思うようなシチュエーションを持ってくる。何というか、登場人物の必死さ加減に同調できない。マイナス方向の「そんなこと」ならまああるのかもしれないわねえ、ですむのだけど、マイナス方向ではない、せいぜい0方向の感情では同調できない部分が印象に残ってしまう。挑戦は買うけれども、ファウルばっかり出している感じだ。判定は保留にばかりなっていく。

11月頭読了:『ポル・ポト<革命>史』山田寛 講談社選書メチエ 1600円

アンコール遺跡まで見に行っておきながら、現地の人たちが語っていたクメール・ルージュのいた日々について全然知らないなあと思って読んでみた。ホントに知らなかったよ……! 気がついたら彼らはゲリラだったので(私が物心ついた頃には失脚している)、ずっとゲリラのような気でいた。ちゃんと「政権」と言っていることは知っていたし、虐殺をしていたことも知っていながら、どういう経緯を辿ったのか、虐殺の主なる期間はいつか、なども全く意識していなかった。とても反省しています。クメール・ルージュの罪は、憎んで殺したというよりも国民を家畜のように思っていたということよりも、無能だったということではないだろうか。真面目な農業政策を立てていれば、絶対にこんなバカみたいな移動はさせられないだろうし、普通の損得勘定が出来れば、たとえ潜在的敵性になろうとも教育をおろそかにするなんてできないはずだ。某書の「政治のトップに立つ者にとっては無能は罪だ」という話がずっと頭をついて回っていました。彼らは度を超えて無能だが(自分らの偏った政策さえ実現できるわけがない方策をとったわけだから。たとえばクメールを絶滅させる、という政策を立てていたならばそれはそれで無能なのではなく残虐なだけだ。害ある国民は死んでもいいが国は栄えさせるというのは机上の空論を通り越していると思う)、どこかの国でまた無能な政治家が誰かを虐殺しているかもしれない。カンボジア国民には選ぶ権利はなかった。私たちはそんな無能を選ぶ無能にはなりたくないな、と心底思いました。今度行くときには、心から平和を喜びながら遺跡を見たい。


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