2001/02/17(土) |
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▲昨日購入:『ifの迷宮』952 本日購入:『妖怪馬鹿』695『六番目の小夜子』514『$ちょびっツ』505
- 会社に行く途中で見かけた苺がとても美味しそうだったので、買っていって昼ご飯にした。やっぱり苺には水かな!と思ってローソンでボルヴィック。1パックもりもり食べる。すごく水水したごはんだ。突然豪華なごはんより、突然突飛なごはんの方がしあわせになれる。
- ハヤカワの2000年SFベストなムックを立ち読みした。さみしい……。いかにも出版点数が少ない。ミステリに較べると歴然と。1位ですらベストセラーじゃないし。SFはめっきり冬の時代。でもそういえば、宇多田ヒカルの新曲のプロモ前フィルム、あれ見るたびにSFを感じるんだわ。なんつーか、ロボットに片想いされてそうなところとか。実は全部狂気の妄想とかそういう展開になりそうなところとか。思わない? 思わないか……。
2001/02/15(木) |
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▲本日購入:『アリア系銀河鉄道』840『幽霊船』762『ノンセクシャル』720『メッセージ』476
- 広告貼らないかというDMが来ていた。FROMは@valuecommerce.ne.jp。てめーか不正なクッキー送りつけてきているのは! 拡張する前にクッキーを何とかしやがれ!!
- 星、といえば思い出すのは大阪から沖縄に行ったときにフェリーから見た星空だ。いままででいちばんすごい星だった。他のフェリーだと見る空は普通の街の空とたいして変わりないんだけど、沖縄行きだけは違う海に出ちゃうから。しかも星がすごいのに海と空の区別がつかなくて、宇宙にいる、という錯覚がおきそうなぐらいだった。星を見るためだけに外洋に行ってみたい。
- えひめ丸で捜索打ち切りに「もう生存の可能性はない」というような理由を挙げているらしい。それは行政としての体質だろうか、それともアメリカ文化(西洋文明、キリスト文化?)としての体質だろうか、単にたてまえとして出せる理由がそれしかなかっただけだろうか。遺体を見るまでは納得できないというのは家族の感情として当然だし、たとえ死の認識を受け入れたとしても(たとえ一部でも)遺体の存在を重要視する日本人が、この状況で、生きてないから捜さない、で納得するわけないだろうに。崖からえいっと突き落として殺した犯人が「もう死んでるから捜さないです」って言って遺族がそれを容認しようという気持ちになると思うだろうか。まだ「できないです」って言った方がマシだ。現実的に金がないとかいう理由はわからんでもないが、それを糊塗するのにそんな理由が出てくるとは、つまるところ、加害者意識が薄いのではないだろうか。
- 今、ATOK13で「ことする」って変換されなかったよ……。
2001/02/14(水) |
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- こないだからチョコレートケーキを作るのに凝っている。なぜならどこ歩いていても材料を売っていたから。それで、ばりばりに酒の匂いのするケーキを作りたくて試行錯誤しているのだが、製菓用小瓶ひとびん使っても全然酒っぽくない。チョコの香りに負ける。後から塗りたくってもダメだ。そうして作ったものの後始末をしているうちに、コドモのようににきびができたりして。
- ミステリに、情状酌量と罰と被害者との関係について悩んでいる記述が出てきた。多分作者も悩んでいるのだろうと思われた。まあつまり、最近よく見かける、情状酌量は被害者の生命を軽んじることになるのではないか、という論議と類似だ。気持ち的にはわかるんだけど、私はそれは論旨が違うと思うんだけど。生命を軽んじているという視点は、情状酌量によりたとえば死刑のところが懲役15年とかになったときに、そのn=(死刑ー15年)の罪と罰が消え去り、被害者の生命もnだけ他の被害者と較べて価値が減少したという考え方じゃないと、そもそも前提が成り立たない。
だけど、そのnは本当に消え去ったと考えてよいのか? 情状酌量というのは、nの分だけ、社会の側に罪があったから社会が罰を受けて更正すべきだという考え方じゃないのか。たとえば簡単に、貧乏が理由でパンを盗んだ犯人を情状酌量するとしよう。その場合は、社会は貧乏で飢える者を出すような環境を作らないよう自身を更正する義務を負うのではないか。それがnの分の罪と罰の所在ではないのか。
つまり、情状酌量やら少年法やらで犯人自身から減刑される分、社会が負う更正義務を忘れないならば、被害者の生命を軽んじることにはならないはずだ。勿論、そんな罪まで社会がかぶってられるか、という考え方も存在してしかるべきだと思う。だったら、そして宙ぶらりんになったnの責任をどこにおくかを次に考えなくてはならない。このnを捨てることにしよう、と考えて初めて、被害者の生命はどうなるのだ、という論議になる。
被害者の生命を軽んじているという論議では、誰も捨ててないはずのnをいきなり捨てたことになっている。それは社会が自分に与えられたnを忘れているからだ。だったら、忘れないようにしっかりとした自己修正基盤を作ること、もしくはnを犯人(か他の原因)に負わせることのどちらかを論じるべきじゃないのか。これが論旨が違うと思う点だ。
自分が懲役10年の判決を受けたことを忘れて、共犯者の罪が15年なのは軽すぎると告発するなら、そいつはどこか歪んでいるというべきだろう。自分は罪を犯していないと考えて告発するのは理に適っているが。私的には、共同責任ととれるnの中のαまで社会のみが引き受けているので、このαの責任を犯人側にも引き受けさせるべきだと考えているのですけどね。
2001/02/13(火) |
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- 私の年代ぐらいで、よちが自分のしっぽを追いかけてぐるぐる回っているのを見た人は、決まって「バターになっちゃうよ」という。服着てる動物見てもそれに関して類似することを言う人は知らない。つまるところ、子どもにとって、ちびくろサンボとはトラがバターになっちゃう話だったということか。
- いまさらだけど、ハリポタを買おうかな〜。おもしろい?
2001/02/12(月) |
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- 税関の掲示板を眺めていたら、こんな通告があった。
「以下の差し押さえ品、所有者不明により還付できませんので国庫に入ります。
大麻葉 150g
向精神薬 728錠
……」
名乗り出たら返してもらえるものなのか? 国庫は末端価格で売り払うのか。
- WPに行った。平日に来たい、としみじみ思った。
- んでもって男性用腕時計を購入。突然男性用の金属バンドのごっついやつがほしくなったのだ。服の上からはめれば金属アレルギーも関係ないし。言われるだろうなーと思いながら店員にこれをくれと言ったら、やっぱり「贈り物ですか?」と言われた。めんどくさいからいいやと「はい」と肯定してしっかり包装してもらった。会計しながら店員が「バンドの長さ調整するときは保証書持ってきてくださいね」と言った。しまった、よけいめんどくさかった。
- カール・セーガンの本を読んでいたら、博物館の展示に創意工夫がないという論調になった。それでもって、良い方の例としてスミソニアン博物館にかつてこんな忘れがたい展示があった、との記述。「台所のセットを作り、箱を開けたシリアルなどの食べ物を置き、2匹のゴキブリを放した。数週間のうちにゴキブリは増えて台所にひしめき、食物を巡って争うようになった。長い時間が経つと生き残った適応度の高いゴキブリがどんな長所を受け継いできたかはっきり見て取れた」俺はイヤだそんな展示!!
2001/02/11(日) |
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▲本日購入:『ブギーポップ・パラドックス ハートレス・レッド』530
- 実家に帰ったとき、「新聞を取っていない」と告白したら、母親に情けない、という顔をされた。私もゴミにならないなら進んで新聞を取りたいぐらいだ。読み物としてなら面白いとこも多々ある。読者投稿とか。ネットにはないタイプの投稿だもんね。だが情報ソースとしてなら、ネットでダイジェスト読むのと内容そう変わりないんじゃないか。そう考えると、4000円はゴミ代か?と思ってちょっとヤんなったのだ。なくなってみると、いかに“読んでなかったか”よくわかった。ふっ。
- 今日は会社に行ったのに、おそろしいほど仕事が進まなかった。来週頑張りましょう。