2000/06/17(土) |
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- 今日は友達Yのフラメンコを見に行ってきました。スペイン料理のお店だったので、友人と会わせて4人でかぶりつきの席に陣取り、偶然ながらその後ろにはYのお母さん。いじめてんのか、って配置。汗も指先の震えも見えた。でも堂々とした押し出しで、頭からつま先まで全身で踊ってた。この席でよかったなあと思ったよ。
- 紀伊國屋での待ち合わせはあまりにも品揃えが悪かったので、地図類も歴史書も買ってこないですんだよ。主力は南口側に移ってるのかな?
- ヘソの下にある内臓って腸? なんか重たい。やたら眠いし。7時に帰ってきてからさっきまでずっと寝てたけど、まだ寝たりない。おやすみなさい。
本日購入:『遭難者』 本日もらい:『$サクラ咲く』『$真冬のBGM』『ムーミン親子のお料理ブック』
2000/06/16(金) |
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- 涙が止まりません。阿弖流為たちの覚悟が哀しい。あなたたちがそうやって守った蝦夷はもうないのよ。「坂上田村麻呂が勝った」と子供たちは教えられているのよ、岩手でさえ。私たちは蝦夷ではなかったのよ。そう泣きながら打った「あてるい」が一発変換された。嬉しかった。
この本のタイトルが『火怨』というのはおかしい。誰も朝廷を怨んでなどいなかった。蝦夷は獣だと貶められても、怒りは覚えても怨みはなかった。対等だと認めて戦をしかけてこないのならば、もう何もしないとあれほど訴えたのに。阿弖流為だけが主人公なわけでもない。この本にふさわしい言葉あるのならそれは『蝦夷』だけだ。
宮城の実家に行ったときは図書館を訪れよう。ホントは阿弖流為はどう伝えられているのか。もし愚かな叛逆者とだけ描かれていたら、また泣いてしまいそう。小説<うそ>も現実<ほんと>もない。阿弖流為が母礼が将たちが15000の兵たちがその後ろに蝦夷が生きていた。それだけが真実だ。
- これ、朝読み終わってたら涙ぼろぼろで仕事できずに早退するしかなかっただろうな……。
- 検索したらこの作品の吉川英治賞受賞を祝う会の実行委員会に「えみしの会」という名前があった。嬉しかった。
- この間に電話があったのでちょっと落ち着いた。
- ここでね!マピオンの超無駄遣い。全部が始まって全部が終わった場所。
- 明日の待ち合わせ場所は新宿紀伊國屋だ。せっかく本を買わないと決めたのに、このままでは地図とかガイドブックとか買ってしまいそうな気がする。
- 漢字の読み方がわからなければ買って読んでください。
本日の宿題:遺跡はどれぐらい残っているか
2000/06/15(木) |
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- 昼休み、選挙の話になった。見事に今までもきっと今回も行かない人たちばかり。喉から手が出るほど民主主義を欲しがっている国はいくらでもある。くれてやればいいんだわ、と思った。
私は一応、1回さぼった以外は全部行ってる。さぼったのは個人的な理由で拗ねていて、政治的なことを一切したくなかったからだ。おばか。1回引越で選挙権がなかったかも。行く理由? だってめんどくさいじゃん。選挙が成り立たなくては近代民主主義は立ちゆかないが、日本という国家は運営していかなくてはいけないだろうから、別のシステムで代用したりなんかして、その維持のために他の権利まで制限されたらどうする。他の帝国主義やら軍事主義やらの政府がすべきことと、それについて自分がどう対応しなくてはいけないか考えただけでうんざりしてくる。それぐらいなら数年に一度選挙に行って民主主義を維持しておく方がよっぽど楽だ。
「なんにも変わらないから」行かないのじゃなく、私の場合、根本的なところを「変えない」ためだけに選挙に行くといっても過言ではない。しかし、結果が出ないという理由で過程を省略するのはまた別な根っこがある気がするがな。
- 売マンションのチラシが入っていた。月4万円でこの広さとは……と血迷わせるものがあった。こうやって血迷い度があがると人は家を買うのか。
- 東北の本を読んでいるせいか、いろんなことが思い出されてくる。山に関する記述を多く目にするうちに、ふと、幼い頃の経験の地方性を悟った。小学校では遠足といえば山だった。年に一度は必ず、多いときで3度は登っていただろう。中学1年の夏に東北を離れて、遠足で山に行くことはなくなったのを、私は中学に上がったからだと考えていたが、単に東北じゃないからだったんじゃないのか。1200mに満たない泉ヶ岳を「低い」とみなす感覚は今でもある。一生東北に住んでいれば足腰も丈夫だったかもしれない。
本日の打ち合わせ:7時間
2000/06/14(水) |
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- また水曜日。代休ばっかり使ってるから、こんなんでもまだ有休17日もあるよー。
- 「エリン・ブロコビッチ」と「ムッソリーニとお茶を」を見てきた。二つの映画の客層があまりにも違っていて笑った。
「エリン〜」はおもしろかった。誠実に働いて、結果が出て、みんな幸せになるという現代調おとぎ話。なのに実話ってところがまた希望的じゃん。そういう胸が熱くなるところを以外も楽しかったのが期待以上。ボスのエドが効いてる。すごくまっとうなのに清涼剤的役割を果たしていた。
「ムッソリーニ〜」は今日観るつもりなかったんだけど、スケジュールチェックしてたらこの期を逃すと次はないということに気がついた。私は必ずパンフを買う人なので、チケットは割引の日じゃないとヤなのだ。ルカがいい。周りはあくの強い老婦人ばかりなので絶対に食われると思っていたら、ちゃんと成長する少年として主人公らしい存在感だった。幼さをもてあまし気味なのがかわいい。それにしても貴族はすごいね。敵性外国人ってだけとはいえ、「それが捕虜か……?」と思うような生活だった。捕虜といえば強制労働や最下層の生活を思い浮かべる日本人の自分たちが、今、戦争をしたらまた恥を晒すのだろうな。
- 帰りに乗ったバスで。電光掲示板に目をやると「ちは のQTぼ」と表示されていた。いったいどこに連れて行くつもりなのか……。
本日購入:パンフレット2冊。
2000/06/13(火) |
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- 古東北を舞台にした本を読んでいる。上巻を読み終わり、そろそろ最大の敵将坂上田村麻呂が出てこようかという話。皆こころざしがまっすぐで、勇敢と無謀の違いをわきまえている。知恵を絞った戦はうらてらの好むところだ。久々に爽快な歴史小説を読んで満足している。ところで私は幼稚園から中学校1年まで東北内に住んでいたので、地名には馴染みがある。この馴染み深いという言葉では片付かない不思議な気分。険しい山を母のように慕い、厳しい雪と友のように触れる。もしかして私は自分を東北の人間だと思っているのだろうか。もちろん主人公たちの気質に共感するところ大だが、仮にこれが九州や中国大陸が舞台だったとして同族意識を持てるかというと疑わしい。でも故郷はどこにもない。実家がある町にも根はない。流浪の民の宿命だ。
本日驚愕:テレホ外に2時間もつなぎっぱなしだった。
2000/06/12(月) |
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- このくそ寒いのにアイスを2つも食べてしまいました。
- 倉敷の花嫁御寮。ついでに、うらてらは腰が重いのでこんなことは滅多にないので写真をいくつか。アイビースクエアの亀。後ろは大原家。心の中で「もね」と呼んでみたお迎え執事(違う)。水色の人がボランティアガイドさん、赤いのは美術館の彫刻館。人力車が走るここはどこ。デジカメっていいよね。
- 会社へのおみやげはきびだんごだった。恥ずかしい話だが、きびだんごはきなこがまぶしてあるだんごだと漠然と考えていた。全然違うと土産屋の人に教わった。黍で作った、いわゆるスケルトンのような色合いのあまり甘くない小さいだんご。どっちかというとさとう吹いてる方がホント。らしい。軒先の話なので信憑性は定かではない。私は「これを1つで鬼ヶ島までお供したとは猿雉犬は謙虚なことよ……」と思った。
- 少し本を買うのを控えないと。すさまじい勢いで金が減っている。積読を崩そう。お金と積読のシーソーバランス。うらてら地域限定の経済原理。
本日同室:せんたくもの
2000/06/11(日) |
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- 行ってきました、倉敷。幸い修正は土曜日の18時には終わったのだけれど、いったい何が君たちを旅行に駆り立てているのか、ホテルが取れない。途上ファミレスも見なかったし、半袖には寒いというべき天候に「うっひゃー」と思いながら、観光案内の看板に載っているホテルにかたっぱしから電話。最後の1つのビジネスホテルで「はい、あります」と言われたときにはそれだけで疲れがとれる気分だったよ。おまけに美観地区から歩いて1,2分ぐらいの願ってもない立地。夜の蔵も堪能。灯りが少ない上に人気(ひとけ)がない。雰囲気良。
さて本日。朝っぱらから美観地区をうろうろ。大原美術館では所蔵の絵画より建物を見ていた時間の方が長かった気がする。ああなんなのこの床は! 彫刻館では踏むと煉瓦のように組まれた木が寄るのがわかる。東洋館はものすごい石造りで眩暈しそう。蔵の再利用のはずなので、これが蔵というものの代表格ならば蔵のある暮らしがしてみたいと身の程をわきまえないことを思う。……それにしても、実感したのは倉敷は倉紡の街だということ。大原家の名家っぷりの桁違いといったら。これだけの美術品が個人所蔵、しかも集められた理由が貴族っぽい。虎次郎の助言で彼が海外で蒐集してくるに任せた、ってすごい。パトロンとはこうあるべきだみたいな。仕事で行った病院も倉紡のものだったことを知った。その建物は確かに破格な贅沢さに充ちていた。もし今度倉敷に行くことがあったら、蔵改造の旅館に泊まってみたい……。
近くの神社にも行ったけど、こんなに観光地に近くてこんなに閑散としている神社も珍しかった。行ってみたら結婚式やってて、得した気分。
ムーミンショップも見つけた。冷やかすだけのつもりで入った私はだらーっと冷や汗を流した。新製品がある……! こんなところで買っていくつもりはなかったのに。ああでも見逃すことは出来ない。まさか倉敷でムーミングッズを買わねばならないとは思わなかった。
ボランティアガイドさんを見かけたりした。かっこいい試みだと思った。
閑散としたお店で700円のおみやげを買ったら、おまけにきびだんごをつけてくれた。店主のおばあさんの笑顔にちょっと切なくなった。
- 新幹線に乗ると、普段見ないような角度・距離からいろんなところを見られる。日本は田んぼだらけだな、と思った。その整然とした緑を見つめるうちに、自分はすでに生物じゃないんじゃないかという疑念がわきあがった。農耕はもちろん純自然じゃないし、私自身の生物を疑うのは傲慢のようにも思うが、あの田んぼよりは生きていないような気がした。今こうしてMacに向かっていると、あの田んぼが幻のようにも思えてくる。私は米を食べているのに、あの世界から完全に切り離されている。それでいいのか。コンピュータを扱う仕事だからという理由で、ああいう世界を知らないでいいのか。そう思いながら、あそこに放り込まれたら多分生きていけない自分も知っている。だから生物じゃないように感じてしまうのだ。
本日食べられなかったもの:ままかり寿司