再録の方が印象的な話が多いなあ、やっぱり。「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」なんてフレーズだけでももう強烈だもんね。菅浩江にはすっかりやられた、まるで軽いミステリ。花にむせかえるようなあの感覚が蘇ったのは安吾かな。全体的に、花、という印象は薄かったかもしれない。花よりも女の匂いにむせかえる。(05/03)
江戸時代の話である、ということをしばしば忘れます。座敷手品など、今でも使えそうなマジックがいっぱい。放下師とかからくり人形とかわくわくするタームが、見直されるように書いてある。外国製のマジックを礼賛するわけでもなく、かといって過剰に日本の手妻を独自だと評価するわけでもなく。料理のたまごの黄身返しは試してみたけど、やはりできなかった。残念!(05/04)
横浜を指してテーマパークとは言い得て妙。今でこそ賞賛されるが、明治の昔から経済活動に寄与しないスペースを確保・維持するのは並大抵ではない苦労があったのですね。そのおかげで今の横浜があるのなら感謝したい気持ち。どの公園が歴史的に最初に出来たかとか、まったく知らなかったけれど、その心地よさは享受している。公園一つ作るのにも、道からの景観とかとても考え抜かれているのだな、と初めて知った。(05/08)
半分がエッセイだと言うことを知らずに買ってしまった。エッセイでは饒舌なアシモフ節が炸裂しています。慎重すぎるほどの言い回し。そんなに謙遜しなくても、アシモフが世界で最も偉大なSF作家の一人であるということに異論を挟む人はいるまいに。SF作品の中では『おとうと』がおそらく日本人好みだろう。イマイチだなーという作品も結構ある。今まで読んだ短編集の中ではちょっとハズレが多いかもしれない。『キャル』の作中作のおもしろさは私にはわからなかったけれど、ラストは、業を感じる。(05/11)
文庫で珍しい二色刷。作者の言葉が赤で入っている。物語本編が始まるまでが長い。作者が、この物語を書こうと思うに至ったわけが書いてあるが、解説を読むと、それがまるっきりの嘘だとわかる。いや、洒落だ。全編、洒落でできあがっている。お姫様が出てきて海賊が出てきて剣が出てきて、恋の物語、で、ある意味お約束が噴出なのだけれど、この洒落が子供時代のわくわくはこんなふうだったと礼賛するため、冒険物語を楽しむというちょっと気恥ずかしい行為に素直に没頭できる。そして、お約束を逸脱する笑いのテンポ、交錯する人間模様! 悪役で登場の二人がまた味がある。ウェストリーのラブレターは最高ですね。掘り出し物でした。(05/14)
うわ、淀んでいる。仕掛け的にはたいへん凝っていて面白いが、東野圭吾は「解けなきゃよかった」と思わせるミステリ作家だと思う。感情を目立たせない文章で、ここまでどす黒いものを表現できるとは驚異的だ。しかし最も黒い点は物語で語られた動機にあるのではなく、犯人が、この仕掛けの間中、幸せだったのではなかろうか、と思えるところだ。相手を陥れられるからではなく、その行為そのものが、彼にとっては悦楽だったはずだ。そういうことを考えてしまうところが、読者の悪意を呼び起こすのだ。(05/15)
一気読みしてしまった。そのぐらい力があるモチーフだ。日航機の事件は覚えているけれども、助かった生存者の方ばかりが記憶に残っている。520人が一度に死ぬということは紙に書くとあまり実感がわかないが、一度ではなく次から次へと遺体の形で死がやってきて終わらないということなのだ、と思う。遺体というものの意味を身につまされた一冊。(05/18)
米原万里さんの本で名前を見たような気がして買った。こちらは大まじめだった。歴史の裏側みたいなものが見えて、その点は胸が躍る。だが結局、文化的摩擦というべき事柄で紛争が起きたりしている事例を読んでいると、ため息ばかりつきたくなる。でもおそらく、それぐらい難しいことだということを、通訳ばかりではなく、万人が自覚していないと、摩擦はなくならないのだろう。(05/20)
正直を云えば、理解できないことが多すぎる。文章的には平易で起伏もあり読みやすい。でも、考え方が理解できない。大学病院組織におんぶだっこする弊害とか患者本位の治療をすべきだと言っているのだけれど、そこかしこに回診やら名誉やらに未練たっぷりの部分が垣間見えるのだ。難しい病気を治して充実感と感謝を得たい、そういう気持ちがありありなのだ。本人が人一倍努力家なのはわかるし成果を上げているのもわかる。そこは見習うべきだと反省する。でもこの本を読んだら、私はこの医者にかかろうとは思えない。(05/21)
いろんな意味で菊地さんらしい話。戦う人が戦うことや強くなることなんかを目的としていないのである。職人が技を競う、というのがいちばんふさわしい。催眠術が今回の職。主人公の来歴がある程度わかっているのが珍しいかもしれない。眠り男、というものがなんたるかを映画見てない私には理解しにくかったんだけど、普通の情に厚い人間に思えました。(05/22)
主に出てくる文学者は漱石・鴎外・芥川。三者三様の友情の在り方が見て取れます。そして明治の友情というモノがどんなだったか。友情の形の変遷を追うことは文学の潮流を追うことでもある、と至極当然のごとく理解できた。実篤の『友情』が「いったいどこが友情なの……?」とまったく謎だったのが、文学的意味を知って初めて、そういう友情もありかと納得できた。このころの文学者は、失礼を承知で言うが、作品以上に本人たちの人生がおもしろい。それが一つの芸術である。(05/25)
ありがとう、ふゆはるさん! せつらが主人公じゃない……と知った時点でかなり落胆していたのだけれど、ブルースではせつらのこんな特技は見られなかった。親戚という制度に感謝しました。影がちらちらというのがまた焦れったくて……ってふゆはるをないがしろにしすぎな感想だな。職業の決め方が絶妙だ。花屋の魔人。プロットも最近のブルースよりは凝っていたように思う。楽しかったので、話のつじつまが合ってない(菊乃はいったい?)ことはよしとしよう。(05/29)
今回裏話的要素が強い。1巻の間を埋めるエピソードや、百介の心情から見た又市たちの過去や想いに重点があてられている。ドラマキャラクターだった右近さんや同心、放下師なども出てきて、メディアミックスの感。前の巻ほど爽快感がなく、百介の迷いにひきずられる。これで終わっちゃうのかなあ? 残念だわ。(05/31)