日本と諸外国の化粧に対する概念の違いがおもしろい。江戸日本は貴族ではなく最下層階級(芸人)から流行が発信された稀有の土地だそうで。他に化粧と直接関係ないところで、白の持つ意味とか「にほふ」が紅からきてるところとか、そういう語源的な知識も増やしてくれます。男性の狭義の化粧がなくなったのはつい最近だそうだから、また出てくると文化的に寛大になっていいかも。(01/01)
東北に帰省したときに読んでたので、雪女伝承が生まれる背景なんてのを考えながら読んだ。雲が降りてきているのを見て、あーいうのこそ雪女かもと思った一方で、あの雲を見たときほどの寒さを感じさせるものはなかったかな。文章からは暑さよりも寒さの方が感じにくいかもしれない。心の冷えを表現した作品はいくつか面白かったが。(01/03)
「TRICK」を見たので、奇術の種明かし的な話を期待して購入。奇術という要素以外の雑学的なところも多くて、短編一本にこれだけのネタを含めちゃう贅沢さと職人的力の入れようを感じる。遊びなんでしょうが、私的にはカード投げですごく喜んでしまいました。(01/04)
十冊探すという話なんだから、一冊ずつエピソードがあるのかな、と思うじゃないですか。そういう素人を置き去りに、簡単な本は一行で手に入るってあたりが古本探しなのだな。残り四冊の稀覯書を巡って、熾烈な争いをするいい年した婿達。一応盗難や詐欺めいたことがあり、ミステリの体裁をとってはいるけど、古書蒐集家が如何に血眼になるかがおもしろい。いや、謎も十分うまいんですが。いつのまにか一緒に遺産じゃなくて本が欲しくて手に汗握っちゃうのだ。(01/05)
やっぱりミステリなんだけど、古書にまつわるどんな奇妙な人たちが出てくるかということの方に引きつけられる。本という静的な物質の中に、生き馬の目を抜くような業界があるという不思議。いいおっさんたちがデパートの下着売り場を駆け抜けて古書市に馳せ参じるところとか、そういう人種ならではの行動原理が、トリックや動機に活かされている。遺産で、とか痴情のもつれで、とかより、「くそ、俺はこんなに本が欲しいのに!」っていう動機の方が理解できるって人種にはオススメですね。(01/06)
「人を殺すなんてことができる者は一人だっていませんよ。だからこそ古本集めなんかやってるんですよ」という記述が文中に出てくるが、古書を手に入れるために手段を選ばないその執念の方が殺意よりよっぽどバイタリティに溢れてると思います。愛書家グループと言ってもいろいろぎくしゃくした面があり、最初から中頃にかけてそのへんのふさぎがちの気持ちが大きくなっちゃうんだけど、最後にはグループがあってよかったなあと思える。趣味に生きる人間に捧げたい。(01/07)
無性にカッコいい。伝書鳩っていう概念、それこそITとやらよりよっぽど格好良くないですか。もちろん軍用に使われて過酷な任務ばかり与えられて撃たれたり海に落ちたりした鳩の犠牲は尊いっていうより人間のエゴに巻き込まれている。でも、一心に鳩を育てた人の話とか、鳩の活躍とか、知ってるようで知らない話がてんこもり。私的には「キンエフ」にまつわる鳩と少年が、緊張感からすとんと安心するようなオチに抜けるところといい、一つの物語のようでお気に入りです。(01/08)
最初のうちは、「かもしれない」「はずだ」ばかりで論拠となる資料との関係が曖昧な叙述ばかりする人だなと思った。資料がないわけではないみたいなのに、明確に結ばないでまるで推測か思い込みであるかのように語るのだ。たとえ常識的であってもそれでは伝説とかわりがないわ、と少々胡乱に思いつつ読んでいたら。業績の伝説とは別ルートらしい母親が狐という伝説の源を民間陰陽師に求め、それが信太神社や稲荷と関係が深いことを展開し、異類婚の意味を渡来民や被差別部落の心情でもって説明しきったのは見事としかいいようがなかった。(01/09)
うーん。なんというか、主人公に意志が感じられない。流されるんでもいいんだけど、やっぱ最後には意志がものをいうといいなあと思うのよ、特にジュブナイルでは。アンジェロが○○で特別な役割を持っている、っていうのはたとえ生まれついてであってもやっぱり意志で勝ち取ってほしいわけですよ。その意志はあるんだろうけど生まれる過程が唐突なのだ。どちらかというとこの話は運命論とかそういう観念の方が強い気がしちゃって。しかし、リニューアルにあたってジュブナイルファンタジーでも中世イタリアの舞台が受け入れられるようになったのはよいことだ。ところで受肉というのは神の子の受ける苦難ではないの?○○は苦難を受けるいわれはないんでないの?(01/12)
なぜ○○○○○!? 本格のプロセスはこれぐらい荒唐無稽なんだよという洒落だろうか。途中でも十分違和感を感じていたが、ひっくり返されるんだろうなーと予想していたら、違う方向に巴投げを食らったような感じだ。前作と同じシリーズとは思えないぐらい。3作すべてが違うジャンルに入るのではないか。福岡という勝手知ったる土地が舞台で、そういう舞台が非現実っぽくなく描ける筆力があるのに、いや、悪いというわけでもないんだが、なぜ○○○○○……。(01/13)
私は御手洗シリーズをホームズの激似パスティーシュと思っているが、些細なことからミステリアスな事件に強引に展開するところとか、やはりホームズの系統でそれが醍醐味。しかし、メインは御手洗の活躍っていうか……いちゃいちゃかな……。でも、あれだけファンと交流しているとあざとくなりそうなものだが、不思議とそういう感じはしない。直接的な表現がないからというわけではないと思う。狙っているというより天然っぽく野郎から見た野郎の白いシャツをこれだけ色っぽく表現できるのはやはり筆の魅力であり、ホームズからの跳躍でもあるのだろう。でも御手洗ビジョンのすごいフィルターには驚きましたともよ(笑)。(01/14)
迷宮と迷路が違うなんて全然考えたことがなかったよ。迷宮は一本道で敷地内をまんべんなく通った後、必ず中央へ導かれるものなのだそうです。そうして必ず人の通らねばならない道というものが演出され、通過儀礼説が生まれる。なるほど。クレタ式とか迷宮には決まった型もいくつか存在するとか、迷宮と迷路を最初に混同したのは誰で何においてであるとか、研究対象っていろんなところにあるんですな。さてその解明が歴史もしくは文化学においてどんな意義があるのか、っていうことが見えにくいのが難点かな。(01/15)
珍しくエッセイなんぞを読んだ。通訳は複眼的思考を持つ人間が多い、という筆者の言葉通り、押しつけがましいところがなく多様な見方を提供しながら、純粋に楽しく読ませてくれた。すごいパワーと仕事に対する誠意による苦労話はひそませておいて、機転とウィットで場をのりきっちゃうところをちらりと見せる。ロシアという語学ではマイナーな国なだけに、国によっていろんなカラーがある!というのを実感する。他の国の言葉にも俄然興味が湧いてきたわ。(01/19)
少年法がどんなものか、これを読むまで知らないも同然だったなと思う。日本は更正に力を入れる国親思想が強い法律であるとか、それはアメリカが国親思想が強いときに作られたからだとか、そういうことまでわかる。かといって難しい言葉を使わず、少年事件の区別もちゃんと載っている。考え方的には相容れないものがあるけれど、そういう噛み砕いて説明する能力については、文句なしといえるだろう。だがその流れでこのあとがきはイマイチいただけないわ……。(01/21)
通常の単換字式暗号の解読の仕方はいろんなもので知っていたけれど、日本語の解読の仕方は統計を知らないのでダメな自分が不思議な感じでした。このへんまでは個対個の頭脳ゲームという感じですね。エニグマの話がこんなに詳しいのは初めて読んだ。これは国対国。今やCPU対CPUだもんな。でも、公開鍵暗号は概念自体がカタストロフィだと思う。いやーだって暗号の鍵を配り歩いていい、でも絶対解けないってすごいと思いませんか。これがあるから、暗号とつく題名の本を読もうかと思うぐらいです。(01/25)
うーん、イマイチまとまらない文章構造だ。エッセイのような体裁で中国料理の変遷を歴史からひもとくのはちょっと無理があるのかも。美味しそうな料理より、文革時代のまずそうな料理の方が印象に残ってしまう。結局北京に根付いたのはどんな味でその特徴は何、っていうことが書いてあるはずなのに、すっきり頭に入ってこないのだ。中国小説をよく読む人間としては、とてもおもしろい見方を提供してくれているんだけれど。(01/26)
おもしろいっす。元が新聞連載であったらしいので、例示も楽しくて平易だ。標準語のように使っている方言とか、標準語はどこからきているのか、意識していない言語構造が浮き彫りになる。「ど真ん中」って関西方言だって知っていましたか。そうしているうちに江戸の風俗などもなんとなし感じられてきて、江戸観光案内を読んでいるような気分。私は何年東京に住んでも江戸っ子にはなれない、江戸ことばは知らないままだなあと思うことしきりでした。(01/27)
洒落です。万物結晶器や人造虹製造猿なんて古い不思議な架空の商品の説明書を作って写真と共に大まじめに説明しています。なかなか雰囲気があって見ていて楽しい。明治時代物SFを読んでいるような気持ちになってくる。なるほど、『ボレロ』もこの系統の洒落だったのか。しかし、「この時代にこの言葉回しはないはず、この仮名遣いがおかしい」なんてことを考えちゃうのは言葉本をよく読んでしまっている弊害か。ここまでうまく作ってあるからこそ、大正の商品に促音入れるってのはないだろうなんて、ささやかながら画竜点睛を欠くことの残念さ。(01/28)
ホントに古代も古代。古墳時代頃が半分を占める。全編を通じて「エミシ」という語と「エゾ」という語の関わりから北海道アイヌ民族と東北文化の関係を探る姿勢を貫いています。外国人であるという印象を強く受ける。外国でなくなってきた頃、阿弖流為あたりを期待して読んでいた私にはちょっとつらいかも。(01/30)